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自分史並びに日記


by rakuzenndannti
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本日も晴天

少し雲が出てきたが、やはりお日様が拝める日は気持ちいい。集会所の桜の枝もそよとも動いていない。全くの無風状態・・・メダカさんも顔を見せてくれない。藻が増えて心配している。

午前中、阿蘇退教協の原稿の先輩が市内から来る。彼は、1974年に天翔にグ、グイと生き方を背中で迫った方である。来年一杯はかかるであろう。彼が、これだけ思いを募らせている彼は

『葬りの丘』の作者である。出版記念会には、天翔も参加している。名前も出してよかろう。『山口純彦』さんである。父上は、菊池、阿蘇のほとんどの学校の校歌を作詞された「山口白陽氏」である。

2年前に、今日、来られた先輩と純彦さんは、原稿を話し合っておられたとの事。少しの間、沖縄の息子の所へ行っている間に純彦さんは亡くなられたのです。

それを聞いた時の先輩の驚きと悲しみは、いかばかりであったであろうか。想像するに難くない。それから、先輩は、原稿を書き始められて、もちろん、残された奥様と長男様にも承諾を得て書き込まれていたのです。

青年だった純彦さんに赤紙が来て、第八師団に入隊し、満洲へ、生き地獄を見られた純彦さんは、戦後、教壇に立ち、自分の過去を子ども等に話されたそうです。

今日も、お連れ合いさんの糖尿病で、一時間ほどの話し合いだったが帰って行かれた。お連れ合いさんをプールへ水泳、入浴、させるらしい。天翔も脳梗塞の後、リ・ハビリで行っていたのでわかる。

この晴天の向こうに、あんなムゴイ戦争が消えかかっている。残された天翔らが、受け継いで話していかないといけないのだ。短い時間であったが、先輩からは、そんな思いが伝わってきた。
by rakuzenndannti | 2008-12-18 14:32